2001年当時、「うたばん」という番組があって、阿部龍二郎がプロデューサー兼総合演出、僕がアシスタントプロデューサーで、キャスティングを担当していました。基本的に、音楽番組は、新曲のプロモーションでアーティストが稼働していますが、2001年、セルフカバーのアルバム「LOOKING BACK 2」が出たので、ダメもとで、「小田さん、うたばんに出ませんか?」と、当時の所属レーベルだった、BMGファンハウスに申し込んだのです。オフコース時代、「ザ・ベストテン」にチャートインしても出られなかった。当時、僕はまだ子どもでしたが、実は阿部はベストテンの最後のチーフADで、その阿部からすると、自分の先輩たちが果たせなかった小田和正さんの「さよなら」が「LOOKING BACK 2」に入っていて、なんとか自分の番組に出てほしいと。そこから僕と阿部で、吉田(雅道)さんにプレゼンをさせてもらって、その可能性を一緒に追いかけて頂ける感触までは得たのですが、結果NGとなってしまいました。その翌日、よく覚えていますが、阿部から携帯に「『LOOKING BACK 2』聞いたよ、素晴らしい、なんで出なかったんだろう」と、珍しくしおらしいメールが来て、僕は「それでは、特番を提案しませんか?」と返信した。阿部も即「そうだ、じゃ、編成と話すわ」と。そして編成も「いいですよ」と。
──服部さんが特番を提案したのは、いま振り返ると、まさにファインプレイでしたね。
服部:
そこを強調したいですね(笑)。2001年6月、当時、元麻布にあったFar East Clubの事務所でお会いしました。ざっくり申し上げると、そこから月2回くらい打ち合わせを重ねて、最終的に12月の放送にしようとなり、色々な人に手紙を書き、出演交渉しましたが、結果的に誰も来ないとなり、収録したんですが、実は、収録後、会社に嘘をついていました。